やさしい手紙


お手紙が届いた。

友人の結婚式で出かけた神戸、4次会の深夜の居酒屋で割り箸入れの裏に住所を書いて渡してくれた長崎の男の子。
お昼時の披露宴から、ワイン、シャンパンをぐいぐい飲んで陽気に酔っぱらい、知らない土地・知らない人ばかりの中で自由な気持ちで楽しく過ごしていた。

三宮駅から伊丹空港へ向かう帰りのバスのなかで、ひとり泣いてしまうくらい素敵で切ない旅だったので、彼のことは特に印象に残っていたわけでもないけれど、その夜とわたしをつなぐものがその割り箸の裏の住所しかないような気がして、淋しいわたしは仙台へ戻ってきてから「楽しかったね」と、すがりつくような想いでお手紙を書いてみたのだった。

今日あたり届いたかな、すぐにお返事を書いてくれたらそろそろ・・とアパートの郵便受けを確認する日が3日くらい続いたあとに、みどり色のかわいいお手紙がポストにころんと佇んでいるのを発見したときはひさしぶりにわくわくした。

開封して、読んでみたら意外にもよい手紙で、思わず涙ぐんだ。

「心のこもった手紙に今年一番の感動をうけました」
「今回の旅でいちばん印象に残っているのがじゅんちゃんです」


旅立つ前日はなじみのカフェでハロウインパーティをし、いつもと変わらずおそい時間までお酒を飲み、観光ゼロでニュートラルな気持ちでゆっくりと夕方のフライトで出かけたはずなのに、帰りにはいろんな気持ちをもらい切なくなったのには理由があったわけで。

同じくお酒の席で出会った兵庫在住のかわいいサニーデイ好きの人にかるくこころを奪われ、花嫁に用意してもらったホテルオークラに泊めてあげたのだった。

もう会わないんだろうな、と思ったから連絡先も交換せずに別れたことをひどく後悔するくらい、仙台へ戻ってきてからも心ここにあらず、胸が痛い、かんたんに人を好きになってしまうわたしにはよくあることなのだけど。

「かわいい男の子」の件は新婦に相談をし、わたしに連絡をよこすよう調整してもらい何度かメール交換はしてみたけれど、フラットな文章でなにごともなく。「あまり覚えてないんだよなあ」的なリアクションに傷ついたりも。

その子のことがちょっとどうでもよくなるくらい、あたたかく、よい手紙だった。

電話番号が書いてあったので、「今年もらったなかで一番よい手紙だったよ」と電話をかけてみたら、明るい声に救われた。
「かわいい男の子」に傷ついたわたしに優しくしてくれる。ひどいなあ、と思いつつ、チャンスがあれば人に甘えてしまう。みんな信じないけれど、たちの悪い淋しがりやなのだ。


ところで。

ふだんクールに見えるわたしも、結婚式では大泣きするわけで。
賛美歌には弱い。深いところで、罪を、感じているのだろうなあ、と思う。