駅伝と福袋

年越しを過ごした実家よりアパートへ。
いつも、いつも、帰省が億劫でしょうがないのだけど、いざひとりのアパートへ戻ると、いつも淋しかったりする。実家へ帰ると子どもになる。不思議だけど、そういうものだ。

スポーツ観戦はまったく興味がなく「箱根駅伝」もまたしかり、なのだけど、昨年あたりから、テレビで走ってるのをたまたま見かけると釘付けに、そして終わると忘れる。
今年も最初は「走ってるなあ」くらいだったのに、途中からビデオに録画してしまくらい夢中になってしまった。
みんな、かっこいい。まぶしい。若い。いっぱいごはん食べてくれそう。男の涙っていいなー。女子駅伝ならきっと見ないから、輝く男子を見たいだけなのだろうなあ、と思う。

駅伝を録画しつつ、買い物をしようとバスで街へ。
ヒートテックインナー、靴下、フライパン、ファンヒーター、携帯電話】が主に欲しく、買えたらいいなあ、と思っていたもの。
しかしながら、いつもそうだけど、街へ行くと人ごみに疲れ、荷物が増えるのも嫌で、結局ツタヤでDVDを借りるか、本屋さんで本を買って家に帰ってきてしまう。
人がたくさんいるところでの買い物って苦手。落ち着いた、いい感じのお店ならよいのだけど。
だからいつもインターネットで買い物をする。壊れそうで買わなくちゃ、と思っていたヒーターも結局ヤフオクで新品トヨトミの赤くてかわいいものを購入。携帯電話以外すべて、ネットで購入。

街へ行く途中のバスの窓から、交差点の信号で止まっている自転車に乗ったおじいちゃんを見かけた。毛糸の帽子をかぶったおじいちゃん。自転車の前カゴに真っ赤で大きな福袋(「福袋」と明記されている)。
「かわいいなあ」と思いつつ見ていたら、チラリと袋のなかを覗いている様子。
平和を願う・・・というよりも、万人の「小さな楽しみ」がどうかこのまま消えることのありませんように・・と祈った。

秘密

毎年のことながら1日中眠る元日。

そんなぼんやりとしたお正月の中でも、ささやかなハプニング。
ひょんなとこから、衝撃のニュースが舞い降りてきた。
知り合いのとある女性−おもしろくて、引き出しが多くて、キュートで、物知りで、かしこくて、ユーモアもあって大好きな人−が実は女性ではなかった。

もちろん嫌いになったりしない。
むしろ、ミステリアスで生活観のない彼女のこと、不思議なことに合点がいった。
でも、これ、たぶんわたししか知らない。秘密を抱えるのはくるしい。

うまくのみこめていないが、そのニュースのあとはふつうにごはんをいっぱい食べた。
すき焼き、うどん、白ごはん、ミスド

人はいろんな秘密があるなあ。
わたしにもあるしなあ。秘密。

誕生日

28歳になりました。
ホワイトバースデイ。
雪のなか、近所のお菓子屋さんでケーキをふたつ買って、カフェオレと一緒にひとりで食べた。
夜はカレーライスをつくって、すこしお酒を飲んだ。

写真は、1週間前のクリスマス&バースデイパーティで cafe・B でいただいたケーキ。
生まれて初めて手作りのバースデイソングもいただき幸せな夜だった。
常連さんがギター片手に歌ってくれたのだった。
みんなで「星のラブレター」も歌ったもんね。
わたしはカズーも吹いた。

お祝いしてくれる人は変わったり変わらなかったり。
そばにあるものをいちばんにだいじにしたいと思う。

静かな生活のへんか

実は、最近地味に変化したことがある。
目立たず、無理もせず、なんとなく、だけど、
習慣が変わるということは、わたしなりにとても大きな変化。

なじみの店に行く回数、つまりはひとりで飲みに行くが激減した。

1番足繁く通ってる cafe・B(仮称)、2番目のお気に入り bar・I(仮称)に行った日の数で見てみると。

夏、7月。

B・・・15回
I・・・5回

初秋、9月。

B・・・10回
I・・・6回

そして、11月。

B・・・3回
I・・・1回



そこで、今、わたしはどんな気持ちかというと、うれしい。

「友だちがいなくても、行きつけの店があればいい」と語ってしまうくらい、わたしにとってお店というのは大切でかけがえのないもの。そこにいけば、何かある。好きな人たちがいる。

まもなく暮れゆく2008年を振り返ってみても、思い出すことのほどんどはcafe・Bで過ごした時間のことだ。

それでも、大好きなものがあるというのは、その分こころが縛られることで、他のことが手につかなくなる。
ひとりでまっすぐ家に帰れなくなる。そして1番は、お金が飛び、多少の罪悪感が沸く。度数の強いウイスキーやラムを好むので体調にもかかわる。

だから、わたしは大事な場所があることを誇りに思うと同時に、それがない人のことを、すこーしだけ羨ましくも思う、「なくても生活できるんだ、いいなー」と。

2005年6月に以前の勤務先を辞めてから、わたしの人生のテーマは「自由」になったのだけど、この大好きな場所へ行かなければわたしのイロイロは解決しないことが不自由に感じられていて(※)、ずっと、もっと軽くなりたい、と思っていた。

(※・・・具体的に言うと「今日はまっすぐ帰ったほうがいいよなー」と頭では思ってるのだけど、飲みに行きたい!という衝動で行動してしまい、多くの確率で「楽しかったー」と気持ちがほくほくするが、帰り道は淋しく(最近は寒いし)ああ、またガマンできなかったのか、と少し後悔したりすること)

ずっと、飲みに行く回数を減らしたい、でもできない・・・と思っていたので、無理せず、静かに生活が変わったことにびっくりもしたけれど、直接的ないちばんの要因は季節の変化のような気もする。

寒くなり、部屋で過ごす時間が増えた。
何をしているかというと、最近は料理をしている。
玄米ごはんとお味噌汁をメインに、野菜が主役の煮物やサラダ、ピクルスなど。
新しいお弁当箱も買い、お弁当をつくる回数がぐんと増えた。
本を読んだり映画を観る時間も増え、部屋は整頓されて、こうして文章や手紙を書いたりもする。

何かが「なくなる」というのは、何かが「ある」わけで、わたしの生活に新しい楽しみが増えたことを嬉しく思う。

最後に。
それでも、cafe・Bがだいじな場所なことにはなんら変わりなく、マスターは定期的に夢にも出てくる。これからもよいおつきあいをしていきたい、とあらためて。

過去のわたしとの再会

いつもの店でボジョレーをいただき、店を出るころには時計はすでに午前2時を回り、冷たくて澄んだ空気の夜空に大きな三日月。

今年の初めに3ヶ月ほど同じ職場だった派遣社員のKさん(♂)−連絡先も知らないしプライベートな話をしたこともない−が、BARをオープンした、という話を最近噂で聞き、30も過ぎているのに「就職は一生しない」と言ってたのはこういうわけか・・などと合点がいったわけだけど、正直、聞いたときは興味とともに嫉妬の感情が沸き、その夜は夢にまで出てきた。

お客さんと別れたあとに、そのBARのことを思い出し、携帯に入っているお店の住所を頼りに深夜の街なかを自転車でうろうろしたあとに見つけたそのビルは、偶然にも4年前にすこし好きだったことのある人が働くビルだった。そう、よく一緒に帰るために、ここで彼が自転車をとりに行くのを待っていた。彼は、わたしが歩く隣を自転車を押して一緒に歩いてくれるのだった。ささやかなデート。

人気のない地下につながる階段、薄暗い廊下、看板代わりの小さなプレート。
夢に出てきたお店が、今、ほんとにここにある。
とてもお店とは思えない無機質で冷たいドア。そっと、開けようとすると、鍵がかかっていた。
お客さんが来なかったんだろう、営業時間内だったけど、お店は閉まっていた。

あまりお酒を飲まなかったおかげで、めずらしくクリアな思考、夜ごはんを食べていなかったので、おなかがすきコンビニでカップうどんを買って帰る。

午前3時。深夜の所在ない気持ちのままテレビを点ける。
こんな時間にテレビはやってるのだろうか?、NHKにチャンネルを合わせ、始まったばかりの番組の画面に表示されたのは聞き覚えのある名前、思わず画面に釘付けに。

18歳−9年前−、初めての就職で同期だった男の子。Fくん。
彼はきれいな顔で目立っていたけれど、障害者だった。
その番組では、彼がパラリンピックのとある競技のリーダーとして活躍していたことを教えてくれた。

辞令交付式の時に見かけて、車椅子は一時的なものなのかな、と思っていたけれど、そうではなく、3年ほど前にスキーで怪我をして、脊髄損傷、2度と歩けなくなったらしい。
飲み会で、わたしの彼氏の話をして、彼がスキーが大好きだったのでその話をしたときに「気をつけてね」と教えてくれた。
1ヶ月後、彼に振られた当日、そういえば悲しい気持ちでFくんに電話したっけ。

数ヶ月もすると、挨拶程度で話す機会もなくなり、わたしは仕事も辞めたしまったく彼のことは忘れていた。

テレビのなかのFくんは「怪我をしてよかった」と言っていた。

いつもならベッドに入っている午前3時、なつかしい友だちに再会したような、不思議なあたたかい気持ちになった。元気そうでよかったな。

やさしい手紙


お手紙が届いた。

友人の結婚式で出かけた神戸、4次会の深夜の居酒屋で割り箸入れの裏に住所を書いて渡してくれた長崎の男の子。
お昼時の披露宴から、ワイン、シャンパンをぐいぐい飲んで陽気に酔っぱらい、知らない土地・知らない人ばかりの中で自由な気持ちで楽しく過ごしていた。

三宮駅から伊丹空港へ向かう帰りのバスのなかで、ひとり泣いてしまうくらい素敵で切ない旅だったので、彼のことは特に印象に残っていたわけでもないけれど、その夜とわたしをつなぐものがその割り箸の裏の住所しかないような気がして、淋しいわたしは仙台へ戻ってきてから「楽しかったね」と、すがりつくような想いでお手紙を書いてみたのだった。

今日あたり届いたかな、すぐにお返事を書いてくれたらそろそろ・・とアパートの郵便受けを確認する日が3日くらい続いたあとに、みどり色のかわいいお手紙がポストにころんと佇んでいるのを発見したときはひさしぶりにわくわくした。

開封して、読んでみたら意外にもよい手紙で、思わず涙ぐんだ。

「心のこもった手紙に今年一番の感動をうけました」
「今回の旅でいちばん印象に残っているのがじゅんちゃんです」


旅立つ前日はなじみのカフェでハロウインパーティをし、いつもと変わらずおそい時間までお酒を飲み、観光ゼロでニュートラルな気持ちでゆっくりと夕方のフライトで出かけたはずなのに、帰りにはいろんな気持ちをもらい切なくなったのには理由があったわけで。

同じくお酒の席で出会った兵庫在住のかわいいサニーデイ好きの人にかるくこころを奪われ、花嫁に用意してもらったホテルオークラに泊めてあげたのだった。

もう会わないんだろうな、と思ったから連絡先も交換せずに別れたことをひどく後悔するくらい、仙台へ戻ってきてからも心ここにあらず、胸が痛い、かんたんに人を好きになってしまうわたしにはよくあることなのだけど。

「かわいい男の子」の件は新婦に相談をし、わたしに連絡をよこすよう調整してもらい何度かメール交換はしてみたけれど、フラットな文章でなにごともなく。「あまり覚えてないんだよなあ」的なリアクションに傷ついたりも。

その子のことがちょっとどうでもよくなるくらい、あたたかく、よい手紙だった。

電話番号が書いてあったので、「今年もらったなかで一番よい手紙だったよ」と電話をかけてみたら、明るい声に救われた。
「かわいい男の子」に傷ついたわたしに優しくしてくれる。ひどいなあ、と思いつつ、チャンスがあれば人に甘えてしまう。みんな信じないけれど、たちの悪い淋しがりやなのだ。


ところで。

ふだんクールに見えるわたしも、結婚式では大泣きするわけで。
賛美歌には弱い。深いところで、罪を、感じているのだろうなあ、と思う。